安楽死と罪悪感 |
| 2月10日、そのときが来ました。 去年のクリスマスまでは、予想すらしていなかった事。 あと、1ヶ月ちょっとで13歳の誕生日が迎えられる筈だったのに... 「ボビー」ゴールデンレトリーバー(雄) 彼に下した決断は、安楽死。 是非はともかく、その時の事を書いてみました。 間違いなく、そういう事実と感情があったということを いつかは愛犬の死と直面しなければならない時が来るであろう 皆さんへの参考になればと思ったもので。 あの目が忘れない...忘れない限り一生罪悪感は消えない気がする。 既に自力で立つことも出来ない彼を ワンボックスの後部座席に布団を敷き、 そこに横たわらせ、家族に見守られながら病院へ到着。 後ろの扉を空けたときの、不安と怯えの目。震えていた。 何かを自分に一生懸命訴えるような... そして、診察台に横たわった時の目... 彼の正面から顔を近づけて一生懸命に撫でた。 無抵抗で何も出来ない..諦めの目にも見えた。 注射は15秒程度で済むのに、とてつもなく長く感じた。 右前足に針を入れたとき、一瞬首を擡げて獣医師を見て、 「痛いなぁ、何してるの?」というようないつもと変わらない表情をした。 このとき、確信した。彼は、死ぬとは思っていないと... 最も信頼してくれてる自分達が側にいることで安心しているのだと、 そう思えたら、酷い後ろめたさに襲われた。 その後、ずっと自分を見つめて...スーッと焦点を失ったのが分かった。 ...注射を抜くときには、もう息が止まっていた。 最後まで、自分を信用してくれていたのに... 裏切ってしまった気がした。 「殺してしまった」と。 ....取り返しのつかないことをしてしまった。 本当にこれで良かったのだろうか?? ぎりぎりまで苦しんでいたのだろうか?? 痛かったのだろうか?? まだ充分生きられたのではないだろうか?? 我々に、彼の死を決める権利はあったのだろうか?? 病院に連れていく30分前に、食べた夕食は... いつもと変わらぬ、大食漢ぶり!! 彼は、生きようとしていたのに...。 そして、この食欲が決断をさらに鈍らせました。 去年の12月、歩くことがままならなくなりつつある後ろ足の 状態を心配して病院で背骨のレントゲンを撮りに行ったときのこと、 たまたま写っていた肺に、無数の斑点...肺癌でした。 余命1〜2ヶ月と診断され、愕然としました。 念の為と、色々な検査をした結果、 「その他の内臓は元気そのもの、 骨自体もしっかりしていて信じられないくらい若い!!」 ...悔しいでした。 その後、間もなく自力で立てなくなり、オシッコ等身の回りの世話をする為に 24時間付ききりで、介護をする必要がありました。 告知されてからその日までの間、毎晩彼の横で添い寝をしながら、 ずっと眠れない夜が続きました。 時には、涙を抑えきれずに泣きました。 「決断のとき」を考え、ずっと苦しかったです。 最後の最後まで「やむを得ない」と「本当に良いのだろうか?」が戦い続けました。 「決断も愛情」...本当にそうなのだろうか?と。 2月8日、口をパクパクさせ、息苦しいと解かる呼吸を頻繁にするようになりました。 夜間、急患で病院に行き痛み止めを打ちましたが、 そのときに、決断を強いられている時期であることを理解しました。 肺の腫瘍が破裂すれば、呼吸困難に陥り窒息死は免れない... 窒息死...それは、猛烈な苦しみであると理解してます。 それが、決断の元となりました。 「もがき苦しませて、死なせるよりは...」 彼が息をひきとって、まだ数日。 正直なところ、今だ私にとって、「安楽死」とは「彼への死刑執行」・「薬殺」に等しいと いう気持ちで、自分自身を責め続けています。 「これ以上、苦しませたくない」という気持ちが一番だったのに... 分かってはいるのだけれど...。 ボビー!! おまえにとって、本当に幸せで正しい決断だったのかなぁ...? 最後に、生々しいと感じた方がいらっしゃったら、お詫び致します。 ごめんなさい。
亀Rさんより投稿していただきました。ありがとうございました。
|
LゥGR
|